事故の記憶、風化させない 海自機墜落から64年 奄美市で慰霊式典
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輸血用血液を輸送していた海上自衛隊の哨戒機が名瀬市(現奄美市名瀬)の「らんかん山」に墜落し13人が犠牲となった事故から今年で64年。犠牲者を追悼する慰霊式が6日、鹿児島県奄美市の名瀬小学校体育館であった。参列者は献花や黙とうで犠牲者の冥福を祈るとともに、事故の記憶を受け継いでいく思いを新たにした。事故は1962年9月3日午後4時55分ごろ発生。急患用血液を輸送していた海上自衛隊第1航空群(鹿屋航空基地)の対潜哨戒機P2V―7が、名瀬港中央埠頭(ふとう)に血液を投下しようと低空飛行で名瀬市街地付近を旋回中、機体の一部がらんかん山の中腹にぶつかり墜落し、炎上。搭乗員12人と逃げ遅れた住民1人が死亡した。当時、奄美大島には空港がなかった。
式典は一般社団法人奄美大島青年会議所(伊東真之介理事長)が主催。自衛隊や市内の関係者、一般市民ら約60人が参加した。恒例となっている同基地所属哨戒機による慰霊飛行は、悪天候のため中止した。
式辞で、伊東理事長は「当時の犠牲者らに思いをはせると、胸に込み上げてくるものがある。献血の重要性や命の尊さなどを次世代へとつないでいく」と語った。
続いて、安田壮平奄美市長と海上自衛隊鹿屋航空基地第一航空群司令の赤岩英明海将補が追悼の儀。赤岩海将補は「事故を繰り返さないため、鹿屋航空基地隊員には毎年この時期に安全教育を実施している。日夜訓練に励み、皆さまの期待に応えられるよう決意を新たにする思い」と述べた。
式典で献花された花は後日、らんかん山の事故現場付近に犠牲者追悼のため建てられた「くれないの塔」に供えられる。
事故翌年から実施された慰霊式は三十三回忌を機に一度は途絶えたが、2005年に再開された。22年からは多くの参列者を迎えるため、会場をくれないの塔から同小体育館に移している。
奄美市は事故が起きた9月3日を「献血の日」と定め、献血の重要性と命の尊さを伝えている。