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鹿児島県 黒糖焼酎の日シンポ 「世界に発信する時期」 鹿大農学部焼酎学担当 鮫島氏が講演
総合 奄美新聞 👁 11

鹿児島県 黒糖焼酎の日シンポ 「世界に発信する時期」 鹿大農学部焼酎学担当 鮫島氏が講演

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 奄美の歴史・風土・生活に根付いた黒糖焼酎の現在地と未来を、本格焼酎研究の第一人者と業界人が語り合う「奄美黒糖焼酎の日 特別企画シンポジウム」が10日、奄美市名瀬のアマホームPLAZA(市民交流センター)であった。鹿児島大学農学部で焼酎学講座を担当し、専門家(焼酎マイスター)育成に尽力した同大の鮫島吉廣客員教授が基調講演し、「国際的認証となるGI(地理的表示)の取得を考える時期にきている」と持論を展開した。

 黒糖焼酎の日実行委員会が主催し、「かごしま焼酎マイスタークラブ」が共催。来島したクラブ員30人を含む約100人が参加した。

 鮫島氏は「奄美にみる焼酎の原風景」と題し講演。1623年『大嶋置目条々』の記載から、「奄美は昔から焼酎の産地だった」と話し、17世紀から現代に続く歴史的背景を語った。

 『南島雑話』も引用。江戸時代後期には、「ユリの根で麹(こうじ)を作り、米麹にキイチゴやクワの実も加え原料とした」「焼酎かすは食し、痛風の薬となった」などと解説した。

 薩摩藩が使った「ツブロ式」の古代蒸留器を図解し、その後伝わった台湾では、温度管理のためフナ(魚)が入れられた(死なないうちに水を入れて温度上昇を防ぐ)などと説明した。

 鮫島氏によると、黒糖焼酎は昭和30年代後半までは「泡盛」として流通、40年代後半に「黒糖酒」、50年代になって、琉球泡盛との混同を招くことから「黒糖焼酎」と呼ばれるようになったという。

 1953(昭和28)年の日本復帰~54(昭和29)年の酒税法改正(焼酎乙類に分類)、59(昭和34)年の国税庁通達(奄美群島に製造限定)の推移についても詳細が語られた。

 鮫島氏は「2023年には文化庁の100年フードに認定され地域ブランドとなり、国内での価値は高まった。GI認証を受け、黒糖焼酎を世界に発信する時期に来ている」と講演を締めくくった。

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 シンポジウムには、蔵元や利き酒師、飲食店店主などが登壇。鮫島氏は「若い蔵元の経営者が増え、新たな感性で新しい波を作りつつある。これからの世界にアジャスト(適合)できるのはこうした世代。〝AMAMI=黒糖焼酎〟となる時代を築いてほしい」と語り掛けた。