200年越しの親子再会 関良助の位牌、香川から帰郷 製糖産業発展に貢献 奄美市
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江戸時代後期、奄美大島からサトウキビの苗を持ち出し、讃岐(現香川県)の製糖産業発展に寄与した関良助(1812年没)の位牌(いはい)が23日、香川県の東かがわ市から鹿児島県奄美市住用町の見里集落に到着し、良助の父、清當済(きよし・とうすみ)の墓と対面を果たした。200年越しの親子の再会に立ち会った関係者約30人は、今後の両地の交流拡大にも期待しながら親睦を深めた。良助の本名は當盛喜(とうせき)。清水村(現在の瀬戸内町清水)出身とされる。父親の當済は薩摩藩が奄美群島を統治するために置いた島役人だったが、大凶作の際に、藩の蔵から米を放出して島民の危機を救った名士。晩年を過ごした見里には當済や家族の墓が残っている。
讃岐の伝説によると、1788(天明8)年ごろ、良助は四国巡礼の途中で病に伏し、現地の医師で、砂糖づくりの研究をしていた向山周慶(さきやま・しゅうけい)に命を救われた。良助は回復して一度は奄美大島に帰ったものの、恩に報いるために良質のキビ苗を持ち出して海を越え讃岐で周慶と再会。2人は1790(寛政2)年には白下糖(白糖)の製造に成功した。
当時の薩摩藩では製糖法を他国に伝えることは国禁で重罰を科された。国禁を犯した良助は二度と奄美の土を踏むことなく世を去った。良助と周慶が完成させた白糖はその後、特産品の三盆糖として確立。藩の財政や多数の農民を救ったことから、香川県高松市と東かがわ市には「向山」と「良助」から名を取った「向良神社」があり、2人を〝砂糖の神〟として祭っている。
良助の位牌を東かがわ市から持参したのは同市の市議会議員で、向良神社のある地区の自治会長も務める山口大輔さん(51)。2年ほど前に、奄美のフリーペーパー「ワンダーアマミ」の記事で良助の詳細を知ったことが契機となり、奄美大島への位牌の持参を企画、実現した。
見里では集落公民館近くにある當済の墓や住居跡を訪れたほか、當済の末裔(まつえい)に当たる師玉家の人々や、集落住民、奄美市議らと交流した。
山口さんは「手厚く歓迎してもらえただけでなく、地元の方々が『當済や良助についてもっと知りたい』と興味を持ってくれたことが何より有意義に感じた」と振り返りつつ、「関良助という人物を通して奄美と東かがわ市のつながりができた。黒糖と和三盆という共通点もある両地域。歴史、文化を次世代に伝えていくために連携したい」と語った。
見里集落の区長を務める師玉当洋さん(70)は、「良助が四国で神様として祭られていることまでは知らなかった。ゆかりのある一人としても誇らしい。私たちも東かがわ市を訪れて友好を深めたい」と笑顔を見せた。
集落の案内や當済、良助についての解説を務めた郷土歴史研究家の川畑安秀さん(80)は「親子ともに権力に屈せずに信念を貫いた傑物。今回の山口さんの訪問で、奄美と四国双方で研究が進んでほしい」と期待。フリーペーパーの記事を書いた作家の三谷晶子さん(46)=徳之島町在住=は「今後も取材を重ねてゆくゆくは書籍化したい。来年度の奄美市生涯学習講座でさらに詳しく紹介するので、ぜひ受講してほしい」と話した。


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