脚本家・倉本聰氏(91)死去 代表作は「北の国から」 鹿児島も度々訪問
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ドラマ「北の国から」などの脚本家として知られる倉本聰さんが9月18日、多臓器不全のため北海道富良野市の自宅で亡くなりました。91歳でした。
県内でも悲しみの声が広がっています。
脚本家・倉本聰さん
Q.きょう富良野寒いですか?
「マイナス13℃ぐらい。20℃か、マイナス20℃だ」
これは今から3年前、KTSが倉本聰さんを取材した時の映像です。
倉本さんは東京都出身の脚本家で、移住した北海道の富良野市を舞台にしたドラマ、「北の国から」の脚本を手がけたことなどで知られています。
脚本家や俳優の育成のため私財を投じて設立した劇団・「富良野塾」が鹿児島で公演を行う際に、鹿児島の演劇ファンと交流したことも。
そんな倉本さんですが、9月18日、多臓器不全のため北海道富良野市の自宅で亡くなっていたことがわかりました。
91歳でした。
街の人からは、突然の別れを惜しむ声が聞かれました。
街の人
「(訃報を)ニュースで見ました。やっぱりさみしいですよね。楽しみにずっと(北の国から)見てましたから」
「純と蛍(が出てくる「北の国から」に)影響されて北海道に移住した友人がいた」
「昭和の大事な人がだんだんいなくなってくる。昭和が終わってくるねという感じ」
また、倉本さんをよく知る人からも悲しみの声が。
鹿児島県中種子町在住の橋口勝さんです。
種子島や鹿児島市での富良野塾の公演をサポートしたのをきっかけに倉本さんと交流を持つようになり、倉本さんが演劇や講演会のために種子島を訪れた際には酒を酌み交わしていたそうです。
橋口勝さん
「大先生ですから最初は緊張していたんですけど、交流を深めるうちに優しくしていただいた。作品にいろいろと感動を受けたから、今後ああいう作品を観れないとなると、とても寂しい」
倉本さんはかつてKTSの取材にこんな言葉を残してくれていました。
脚本家・倉本聰さん
「今までまで過ごしてきた時間とか、そういったものを登場人物1人ずつについて、しっかり根っこを考えなさい。そういう根っこがいっぱい集まって1本の木になったとき、根っこと根っこが合って化学反応を起こす。それがドラマだよ」
たくさんの根と根が絡み合って一本の木が立つように、一人一人の人生が重なって物語が生まれる。
そんな倉本さんの思いが数々の名作を生んでいたのかもしれません。
倉本さんのお別れの会は11月3日に富良野市で予定されています。
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