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鹿児島県 徳之島町との絆深く 第63回富山丸戦没者慰霊祭 戦後81年 変わらぬ鎮魂と平和の祈り
事件・事故 奄美新聞

鹿児島県 徳之島町との絆深く 第63回富山丸戦没者慰霊祭 戦後81年 変わらぬ鎮魂と平和の祈り

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 【徳之島】太平洋戦争末期の1944(昭和19)年6月29日、沖縄戦線へ向け航行中、徳之島町亀徳沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した輸送船「富山丸」。この悲劇で犠牲となった3724柱の御霊(みたま)を慰める「第63回富山丸戦没者慰霊祭」が18日、同町亀徳の「なごみの岬」にある慰霊碑前で行われた。戦後81年を迎える中、遺族と地域住民の絆で平和の尊さを次世代へ継承することも誓い合った。

 慰霊祭には関東地区のほか高知、香川、愛媛、大分、宮崎、鹿児島の各県から遺族関係者50人が来島し、地元関係者や平和学習で参加した亀徳小と亀津中の児童生徒らを含め約180人が参列した。亀徳小児童による合唱で厳かに開式し、全員で黙とうをささげた。

 63年にわたり慰霊祭を支えてきた徳之島町の高岡秀規町長は祭祀(さいし)で「全国の遺族と地域住民の結びつきが極めて深い」と強調し、戦争の悲惨さを語り継ぐ遺族会の活動に改めて敬意を表した。また、参列した子どもたちに向け「平和への思いが届くことを願う」とも述べた。

 慰霊のことばで参拝団団長の桑島正道さん(89)=香川県富山丸遺族会会長=は、現在も続く世界各地の紛争に触れ「人間はなぜ戦争をするのか」と問い掛けた。軍国教育を受けた少年時代を振り返りつつ「今は豊かな文化生活を享受できている」と語り、慰霊祭を続ける徳之島町民へ感謝の意を示した。

 今回の参拝団のうち遺児は最高齢90歳を含む23人。各県遺族会ごとに献花を行い、「父が亡くなった時、私は生後半年だった」と語る声や、父との思い出を振り返る言葉が聞かれた。戦後81年を経ても癒えない悲しみとともに、「子どもたちが幸せに暮らせる世界に」「戦争のない社会を」といった切実な願いが語られた。

 式の最後には参列者一人ひとりが白菊を手向け、慰霊碑と悲劇の海に向かって祈りをささげた。遺族らは徳之島の海を見つめながら平和への誓いを新たにし、再会を約束した。

 全国遺族会の育て親とされる故三角光雄氏の顕彰祭や、「疎開船武州遭難の碑」への献花も行われた。

 【輸送船富山丸の悲劇】富山丸(7500㌧級)は約4千人の将兵と物資を載せて南下中の1944年6月29日午前7時頃、亀徳沖約3㌔の海上で米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。積載していたガソリンドラム缶が爆発・炎上し、海上に脱出した人々も猛火に包まれるなど3724人が犠牲となった。船舶事故としては戦艦大和(旧第二艦隊)やタイタニック号などと並ぶ大惨事とされている。