「語らないまま死なないで」81歳の被爆者が始めた"最後の記録" 鹿児島・伊佐市
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広島への原爆投下から81年を迎えた8月6日、鹿児島県内でも静かに黙祷を捧げる被爆者がいた。伊佐市に暮らす西上床キヨ子さん(81)だ。原爆が投下されたまさにその年に生まれ、自らも長崎で被爆した彼女は今、県内に残る被爆者の声を記録に残すという新たな挑戦に踏み出している。8月6日午前8時15分。広島に原爆が投下された時刻に合わせ、伊佐市の西上床さんは手を合わせた。
「暑かっただろうなって。81年たった今でも核兵器がなくなっていないことが一番悔しい」
西上床さんは、原爆投下の3日後にあたる8月9日、長崎で被爆している。生後わずか4カ月のことだった。昼寝をしていた際、母親がとっさにわが子をおなかの下に隠して守ったという。
「被爆の日の記憶は全くない。でも物心ついたときからずっと母や叔母から話を聞きながら育った」
記憶はなくとも、家族から語り継がれた体験が彼女の原点となっている。
西上床さんは毎年8月9日に長崎を訪れ、祈りを捧げてきた。しかし2026年は熊本地震による交通への影響から、その訪問を断念せざるを得なかった。
「今年はもう高速走れないし、新幹線も行かないから」
その言葉には、無念さとともに、長年積み重ねてきた思いの重さが滲む。
現在、鹿児島県内の被爆者は261人。平均年齢は87.74歳に達し、高齢化は急速に進んでいる。西上床さんは県原爆被爆者協議会の会長を務めながら、協議会を1人で継続。事務所も鹿児島市から自宅へと移し、活動を続けてきた。
被爆者の数が減り続ける中で、直接の体験者から声を聞ける時間は確実に限られてきている。
80歳を過ぎた今、西上床さんは新たな取り組みを始めた。県内に残る被爆者の声を2年間をめどに聞き取り、記録としてまとめる計画だ。これまで人前で語ることのなかった被爆者にも、思いを口にしてほしいと呼びかける。
「生き残った方に、今までしゃべったことがなかった方でも、『思いの丈を語らないまま死なないでください』。それが後の核兵器廃絶に核は要らないってことにつながる」
そして彼女はこう続ける。
「核と人間は共存できないという思いを一人一人が本気で取り組んでほしい」
原爆が投下されたその年に生まれ、81年を生き抜いてきた女性の言葉は、静かでありながら力強い。残された時間を使って記録に向き合うその姿は、核廃絶への願いを次の世代へと橋渡しするための、最後の使命感に満ちている。