あの日、父はカタカナで遺書を残した…残された家族が「早く読めるように」と 特攻隊員1036人を追悼 南九州市知覧で戦没者慰霊祭
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知覧特攻基地戦没者慰霊祭が3日、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂であった。遺族や関係者ら約700人が参列し、太平洋戦争末期の沖縄戦に旧陸軍知覧飛行場から出撃した439人を含む特攻隊員1036人を追悼、不戦を誓った。知覧特攻慰霊顕彰会が主催し72回目。今年は全国から昨年より70人余り少ない149人の遺族が参加し、子ども連れの姿もあった。
遺族代表のあいさつは、1945年5月24日に、熊本県の健軍飛行場から出撃して29歳で戦死した久野正信さんの長男・正憲さん(86)=愛知県東郷町=が務めた。
正憲さんは父の遺書がカタカナで書かれていたと明かし、「平和になることを夢見て、私たちが早く読めるように考えたのだろう」と推し量った。「残された家族や関係者も高齢化しているが、命の尊さを語り継いでいくことを誓う」と述べた。
主催団体の会長を務める塗木弘幸・南九州市長は「世界情勢は悪化しているが、恒久平和を訴え続ける」と語った。
昨年は、知覧飛行場で勤労奉仕した知覧高等女学校生徒「なでしこ隊」の元隊員の参列は1人だったが、今年は2人訪れた。