中山律子さん死去 決めたことやり遂げる「薩摩おごじょ」優しい人柄と華やかな雰囲気で国民的ヒロインに
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◇中山律子さん死去【悼む】最後に会ったのは約10年前。日本プロボウリング協会の総会で久しぶりに会い、「これからもお互い頑張ろうね」と話しかけてくれたことを覚えている。何歳になっても変わらない、笑顔が素敵な人だった。
中山さんとの出会いは1968年。当時私はスポーツ紙で初めてのボウリング連載「スポニチ・ボウリング教室」を担当しており、その取材の過程でお会いした。母親に「1年でダメだったら鹿児島に戻って嫁に行く」と宣言して上京。言葉通り、翌69年のプロテストに合格した。一度決めたことをブレずに誠実にやり遂げる姿は、鹿児島県民の気風を示す「薩摩おごじょ」そのものと感じた。
トップボウラーとして走り続けながら、「ボウリングをする人が一人でも増えてほしい」と話していた。「さわやか律子さん」が社会現象となり、ボウリングブームは全盛期に。テレビ各局はこぞって中山さんを起用した企画を立ち上げた。中山さんはどんな内容でも嫌な顔せず、前のめりで参加していた。全てはボウリングを広めるため。そんな優しい人柄と華やかな雰囲気も相まって、国民から愛されるヒロインになった。
73年の石油危機など、日本経済の浮き沈みにボウリングも影響された。そんな大変な時期を支えた人なので、「本当にご苦労様」と伝えたい。彼女自身から放たれる明るいオーラは、亡くなった後も多くの人々の頭から離れないだろう。 (スポニチOB・中森康友)

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