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【島民は2人だけ】無人島にシニア夫婦がUターン。定期船なし、買い物・ゴミ出しは自家用船で、電気・水はどうしてる?故郷を守り続ける原動力とは|鹿児島県・新島
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【島民は2人だけ】無人島にシニア夫婦がUターン。定期船なし、買い物・ゴミ出しは自家用船で、電気・水はどうしてる?故郷を守り続ける原動力とは|鹿児島県・新島

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鹿児島・錦江湾に浮かぶ新島(しんじま)は、かつて無人島となったものの、2019年に佐々木和子(ささき・かずこ)さん・直行(なおゆき)さん夫妻が移住したことで再び息吹を取り戻した人口2人の小さな島です。
夫妻は「ふるさとを守りたい」と民泊やカフェを始め、島には再び人々の笑顔が戻っていました。しかし2026年3月、島と対岸を結ぶ行政連絡船「しんじま丸」が廃止に。アクセスが厳しくなった今も、お2人は大自然の恵みとともに温かく島を守り続けています。
過疎化と船の廃止という現実に直面しながらも、熱い想いで離島暮らしを営むご夫妻にお話を伺いました。

今回は霧島市の隼人新港から出航。乗車人数9人のクルーズ船をチャーターし、新島へ向かいました。
新島へは隼人新港のほか、桜島の浦之前港や鹿児島本港から出航する海上タクシーを利用して渡ります。
波が穏やかな時は新島まで30分程度で着くそうですが、この日は風速6mほど、時折雨がぱらつく空模様。沖に出るとなかなかの荒波が待ち受け、約50分の船旅となりました。幾つか小さな無人島を通り過ぎると、桜島の前に新島が確認できました。近づくにつれ、グングン大きく見えてくる姿に、胸が高鳴ります。

新島に近づいてきた!島の西岸にある新島港を目指して走る。

到着すると、佐々木さん夫妻と愛犬のリュウ君が出迎えてくれました。カフェと自宅兼民泊の建物は、新島港のすぐ目の前にあります。カフェの上にはテラス席も。
「まあ、ゆっくりしなさいよ」と、まずは和子さん手づくりのランチが並びました。メニューは、ちらしずし、地どれのアジフライ、アオサ汁、ヒジキ煮など。「ヒジキはそこの岩場でとって、すぐにゆがいた新物。ほとんどの食材は新島産よ」と和子さん。デザートセットには、畑で採れた長命草のふくれ菓子、赤シソジュースと、島どれの素材を堪能しました。

メインのちらしずしも和子さんの手づくり。旬の魚介や畑で採れた野菜など、新島の恵みがぎっしり。ランチ1人前3000円は2日前までに要予約。

ランチはデザートセット付き。ヨーグルトにかかるブルーベリージャムも手づくり。夏は自家製赤シソジュースが人気。

食後は島めぐりへ。島内のガイドも務める、直行さんが案内してくれました。島の中心部のメインストリートを通って、新島の守り神「五社神社」へと向かいます。

新島は桜島の北東約1.5km沖に浮かぶ、周囲2.3kmの小さな島です。漁業が盛んで、1950年代には約250人が暮らしていましたが、2013(平成25)年に全員が島を離れ、無人島になりました。
「いったん、無人島になった後に島に入ったら、桜島の灰がこんなに積もってて」と直行さんは膝下を指しました。道路も広場も、一面、約40cmもの灰に覆われていたそう。「それを全部一輪車とスコップで出して、海の向こう側に埋め立てて」。親戚や友人に手伝ってもらいながら、灰を運び出し、草刈りをしたころのことを教えてくれました。

かつての和子さんの実家には、立派な門が残っていました。坂を上っていくと、日々の暮らしを支える畑もあります。夏野菜のトマトやナス、ブルーベリーも実っていました。
神社までの道沿いには、1972(昭和47)年に廃校になった旧桜峰小学校新島分校の校舎も残っていました。和子さんも通った小学校です。

畑には多くの野菜や果実が実る。周囲のダンチクは、アコウと同じく先祖が植えたもの。かつては燃料にしていた。

坂の上まで進むと、五社神社の真っ赤な鳥居が見えてきます。この神社は、和子さんの父・敬造さんが長く大切に守ってきていました。
「私たちの人生を変えた神社です。実はここで参拝して結婚する人が多く、縁結びにご利益があると話題なんですよ」と直行さん。「このパワースポットを多くの人に知ってほしい」と話します。
今回は回り切れませんでしたが、ブランコのある展望所や貝化石層など、まだまだ見どころいっぱいです。

カフェに戻ってお2人に話をお聞きしました。新島に移住を決めるまでには、どんな経緯があったのでしょう?

和子さんは新島で生まれ、小学4年生まで新島の分校に、5年生からは桜島の本校に船で通ったそうです。卒業後は鹿児島市の叔母の家から中学、高校、短大へと通いました。新島にいた家族は、和子さんが17歳になったころ、島を離れて鹿児島市内に転居したのでした。

一方、直行さんは北九州市出身。商社で働いていた直行さんは、鹿児島で働いていた和子さんと出会い、すぐに結婚。直行さんの故郷・北九州市で約50年、4人の子どもたちを育ててきました。

根を下ろした故郷を離れる決断をするのは、ハードルが高そうです。直行さんは「最初はまったく、移住する気はなかったんですよ」と笑います。
2人が心を動かされたのは、和子さんの父の思いでした。
「父は漁船を持っていたので、島を出てからもよく神社にお参りに来ていました。2013(平成25)年まで島に残っていた隣の方にお供えのお花と水、お守りの管理をお願いしていました。大切に守っていたんです」(和子さん)

新島が無人島になった翌2014(平成26)年から、和子さんは、島の荒廃を知った姉のひろ子さんと共に、何度も島に渡っていました。「ジャングルみたい」な島で、生い茂った草木を刈り、灰を除去し、神社の敷地を整備し、少しずつ手入れしていきました。
この和子さんたちの想いに心を動かされた人々が友人を連れ、元島民を連れ、ボランティアで集まりました。同年に設立した「ふるさと再生プロジェクトの会」は、2018(平成30)年にNPO法人となります。

それでも当初、考えていたのは、近くに住んで週末に船で通うことでしたが、最終的に島への移住を決断したのは直行さんでした。
「義父が好きだったんです。義父はよく人助けをしていました。その義父の願いが神社を守ること。もう遺言ですよね。義父に信頼を寄せていた秋田県鹿渡(かど)神社宮司の母親からの言葉もあって、結局、島に住むことに決めました」

2019年に移住を決めた2人は、知人の空き家を購入してリフォームを始めました。かかった費用は約2000万円。「天候が悪いと船が出ない。来られない日の大工さんの日当も必要だったんです」。こんな離島事情も初めて知ったといいます。老後のために用意していたお金は飛んでしまったものの、「それでもね」と2人は笑顔を見合わせます。

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