「白鳥バレエ」終戦間もなく鹿児島市に設立…3代目団長は80周年へ全身全霊「心に永遠に残るものを」
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太平洋戦争の終戦から間もなく、鹿児島市に設立された「白鳥バレエ」。創立77周年を記念する公演が12日、鹿児島市の宝山ホールで開かれる。3代目団長の白鳥五十鈴さん(53)にこれまでの歩みや記念公演の魅力などを聞いた。――白鳥バレエの歴史は。
「白鳥バレエは、中国のハルビンから引き揚げてきた島克平、長野トキ子夫妻が1949年に鹿児島でバレエ団・白鳥会を創設したのが始まり。夫妻に師事した母は鶴丸高1年の時に『白鳥見なみ』の名をもらい、白鳥会を引き継いだ。母は長期休暇のたびに上京し、『日本バレエの父』と言われる小牧正英先生のもとに通い、優秀なソリストたちがいる中でパ・ド・ドゥ(2人の踊り)の役もいただいた」
「母は鹿児島にも芸術を伝えていくというプライドを持ち、ぜいたくをせず芸術に身も心もささげた。1969年には文化庁芸術祭に地方から初めて参加し、オリジナル作品『ヤマトタケル』を上演。私が3歳の頃に3か月間渡欧して一流のバレエ団と交流したほか、鹿児島県内各地で子ども向けの巡回公演にも力を注いだ」
――子どもの頃の夢は俳優だった。
「稽古場と舞台袖で育ち4歳で初舞台を踏んだが、将来は日本を代表する俳優になりたいと思っていた。中学を卒業後に上京して俳優の勉強をし、短大に通いながら文学座の研究生になって毎日稽古に励んだ」
「だが、美しさに対して訓練を続けるバレエと、人間的な生々しさが求められる俳優の違いに悩んだ時期もあった。自分の世界を広げようとバンド活動もした。演劇や音楽に取り組んだことで芸術的な感性を養うことができ、今の創作活動につながっている」
――2009年に「白鳥五十鈴」を襲名した。
「東京でドラマや舞台、映画などに出演しながら、白鳥バレエではロシアのバレエ団との公演で主演もしていた。09年に鹿児島市民文化ホールで創立60周年記念公演『平家物語』を2日間上演するにあたり、鹿児島に戻った。この公演を機に襲名し3代目団長となった」
――今年は自身の初舞台から50年の節目。12日の記念公演への思いは。
「総合プロデュースする新作『Memento Vita』~メメント・ヴィータ/生を想(おも)え~は、心を閉ざしていた青年が旅に出て様々な出会いを通して成長していくストーリー。2年前から構想を練りはじめ、最後まで構成や振り付けを悩みながら約1時間半の長編作品に仕上がった。『生きるとは何か』を一緒に感じながら見てもらいたい」
――これからの目標を。
「全身全霊で打ち込む姿勢を舞台上で表現するのが白鳥らしいバレエ。舞台は一瞬だけど、心に永遠に残るものを、と努力している。まずは目の前の公演をやり遂げ、それから80周年に向けて何ができるか、時代に合わせて考えていきたい」
◆しらとり・いすず=鹿児島市出身。本名は野村五十鈴。バレエ講師になるため、ロシア・ボリショイバレエ学校のマスタークラスを修了した。鹿児島県バレエ協会の副会長などを務める。6歳の雌犬でミニチュアダックスフントの「あくびちゃん」との散歩がリフレッシュになっている。
鹿児島市のスタジオを訪ねると、本番に向けた稽古は熱を帯びていた。客席から演者がどう見えるか。立ち位置、顔や脚の角度といった一つ一つにこだわって指導する五十鈴さんが印象的だった。
教室では講師の多くが白鳥バレエ出身で、3歳から80歳代までの幅広い世代がレッスンを受けている。
「ゼロから作るのは難儀だが、芸術性に重きを置いて作品を作りたい」。鹿児島に根付いた文化や見なみさん(86)の作品を受け継ぎつつ、創作に挑み続ける五十鈴さんの活動を今後も追っていきたい。(小野悠紀)
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