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徳之島・102歳の廣島員代さんが「大主の願い」出版 作品に込めた思い語る
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徳之島・102歳の廣島員代さんが「大主の願い」出版 作品に込めた思い語る

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 1924(大正13)年2月8日生まれ、今年で満102歳を迎えた廣島員代(ひろしま・かずよ)さんの作品集「大主(ふうしゅ)の願い-百二歳の私が、いちばん伝えたかった、祈りと希望の物語-」の出版祝賀会が9月20日、高齢者施設「グループホームみさき」(伊仙町犬田布)で開かれ、親族、施設スタッフ、関係者等が出版を祝った。(奄美群島南三島経済新聞)

 今回の作品集には、2005(平成17)年81歳の時に発表した童話・短歌・エッセー・小説をまとめた「結いの花」から小説2編を再録し、2024年に開催された「いせん寺小屋」での講演の様子、直筆の短歌16首も新たに加えた。

 原稿の取りまとめ・編集を担った松岡由紀さんは「初めてお会いした時、90歳を過ぎてなおお元気で、当時私が地元紙に寄稿していた随筆を記憶し、話をしてくれたことに深い感銘を受けた」と話す。その後、伊仙町の町誌編纂での聞き取り調査や講演の依頼を通じ交流を深めていった。「作品の持つ価値を、代を超えて広く知ってもらいたい」と作品集の発刊を提案し、親族などの賛同を得て今回の出版に至ったという。

 伊仙町木之香(きのこ)で生まれの廣島さんは、姉夫婦と共に20代前半で満州国に渡った。満州では仕事をしながら平穏な日々を過ごしていたが、敗戦とともにそれまでの日常が失われ、情勢が混とんとする中、ソ連兵や八路軍(はちろぐん)から身を隠す日々が続いた。

 祖国日本への道は険しく、ハルピンから葫蘆島(ころとう)を経て、博多港に帰還できたのは1946(昭和21)年、徳之島への帰郷は1947(昭和22)年の旧正月前だった。帰国までの途上、略奪や暴力など凄惨(せいさん)な現実も目の当たりにしている。

 帰郷後も米軍統治下の島での生活は困窮しており、密航船で鹿児島へ渡ったこともあった。奄美群島が祖国復帰した後は大阪に渡り、美容室を経営。約40年間の大阪での生活で多くの人たちとの交流が生まれ、同郷の人たちからさまざまな相談を受けることもあった。

 1997(平成9)年に徳之島に戻って本格的に創作活動に取り組み、短歌や俳句、童話から小説まで、さまざまなジャンルの作品を執筆している。

 収録された小説2編は、70代後半から奄美大島に通い受講した文章講座での学びを元に創作した作品。タイトル作の「大主(ふうしゅ)の願い」では、若い男女の思いを軸に、村々の対立が大主主導の下で和解し、互いの信頼に変容していく過程を、かつての風習や儀礼を織り交ぜながら描いた。「結いの花」では、貧しいながらも家族が互いに助け合い、支え合いながら生きていく姿を、戦中・戦後の島の風景や島を離れ、望郷の思いに駆られながらも誠実に生きていく人たちとともに活写している。

 廣島さんは「先祖代々受け継がれてきた島の人の持つ、律義さ、義理、人情は、永遠に残していかなければならない島の宝」と話す。作中の登場人物たちも与えられた恩に感謝し、真摯(しんし)に生きている姿が印象的で、廣島さんが伝えたい思いの一端を垣間見ることができる。

 戦時下での体験を通じ、「満州でいい魂を授かった。人を思いやる心、人のため、世の中のためになる心」と話し「今の幸せはいつ崩れるか分からない。そうなる前に心を残す準備をしなくてはいけない」と訴える。

 島の若い人たちを育て作品や芸能を発表する機会の創出、島を訪れた人たちに渡したい土産のアイデア、自身が作詞した歌のことなど、思いを巡らせていることは多岐にわたる

 作品集の表紙には、出身地である木之香集落桜並木の満開の桜をドローンで撮影した写真を使う。この桜は、廣島さんが奈良県の知人から取り寄せて植樹したもの。島に対する深い愛情から生まれる行動力、アイデアは尽きることがない。

 問い合わせはスタジオミスト(TEL 0997-82-1505)で受け付ける。非売品のため数に限りはあるが、取り寄せを希望する人へは(島外へも)無料で送付予定。

 1924(大正13)年2月8日生まれ、今年で満102歳を迎えた廣島員代(ひろしま・かずよ)さんの作品集「大主(ふうしゅ)の願い-百二歳の私が、いちばん伝えたかった、祈りと希望の物語-」の出版祝賀会が9月20日、高齢者施設「グループホームみさき」(伊仙町犬田布)で開かれ、親族、施設スタッフ、関係者等が出版を祝った。(奄美群島南三島経済新聞)

 今回の作品集には、2005(平成17)年81歳の時に発表した童話・短歌・エッセー・小説をまとめた「結いの花」から小説2編を再録し、2024年に開催された「いせん寺小屋」での講演の様子、直筆の短歌16首も新たに加えた。

 原稿の取りまとめ・編集を担った松岡由紀さんは「初めてお会いした時、90歳を過ぎてなおお元気で、当時私が地元紙に寄稿していた随筆を記憶し、話をしてくれたことに深い感銘を受けた」と話す。その後、伊仙町の町誌編纂での聞き取り調査や講演の依頼を通じ交流を深めていった。「作品の持つ価値を、代を超えて広く知ってもらいたい」と作品集の発刊を提案し、親族などの賛同を得て今回の出版に至ったという。

 伊仙町木之香(きのこ)で生まれの廣島さんは、姉夫婦と共に20代前半で満州国に渡った。満州では仕事をしながら平穏な日々を過ごしていたが、敗戦とともにそれまでの日常が失われ、情勢が混とんとする中、ソ連兵や八路軍(はちろぐん)から身を隠す日々が続いた。

 祖国日本への道は険しく、ハルピンから葫蘆島(ころとう)を経て、博多港に帰還できたのは1946(昭和21)年、徳之島への帰郷は1947(昭和22)年の旧正月前だった。帰国までの途上、略奪や暴力など凄惨(せいさん)な現実も目の当たりにしている。

 帰郷後も米軍統治下の島での生活は困窮しており、密航船で鹿児島へ渡ったこともあった。奄美群島が祖国復帰した後は大阪に渡り、美容室を経営。約40年間の大阪での生活で多くの人たちとの交流が生まれ、同郷の人たちからさまざまな相談を受けることもあった。

 1997(平成9)年に徳之島に戻って本格的に創作活動に取り組み、短歌や俳句、童話から小説まで、さまざまなジャンルの作品を執筆している。

 収録された小説2編は、70代後半から奄美大島に通い受講した文章講座での学びを元に創作した作品。タイトル作の「大主(ふうしゅ)の願い」では、若い男女の思いを軸に、村々の対立が大主主導の下で和解し、互いの信頼に変容していく過程を、かつての風習や儀礼を織り交ぜながら描いた。「結いの花」では、貧しいながらも家族が互いに助け合い、支え合いながら生きていく姿を、戦中・戦後の島の風景や島を離れ、望郷の思いに駆られながらも誠実に生きていく人たちとともに活写している。

 廣島さんは「先祖代々受け継がれてきた島の人の持つ、律義さ、義理、人情は、永遠に残していかなければならない島の宝」と話す。作中の登場人物たちも与えられた恩に感謝し、真摯(しんし)に生きている姿が印象的で、廣島さんが伝えたい思いの一端を垣間見ることができる。

 戦時下での体験を通じ、「満州でいい魂を授かった。人を思いやる心、人のため、世の中のためになる心」と話し「今の幸せはいつ崩れるか

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