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《奄美大島で身柄確保》収益50億円、メンバー1500人…「埼玉の野球少年」はなぜ“最凶風俗スカウト”のトップになったのか?
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《奄美大島で身柄確保》収益50億円、メンバー1500人…「埼玉の野球少年」はなぜ“最凶風俗スカウト”のトップになったのか?

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 十数年前、歌舞伎町で誕生した違法スカウト集団「ナチュラル」は、いかにして莫大な収益を生むトクリュウとなったのか。創業者“木山”こと小畑寛昭被告(41)の知られざる経歴を辿ることで、その全貌を暴く。(全2回の1回目/初出:「週刊文春」2026年7月16日号)



「争いません」

 法廷に立った筋骨隆々の男は肩を怒らせ、淡々とした口調で起訴内容を認めた。2026年5月21日、東京地裁で行われたのは、国内最大規模のスカウト集団「ナチュラル」会長の「木山」こと小畑寬昭被告(41)の初公判である。

 2023年から翌年にかけて、スカウトした女性を性風俗店に斡旋したとして、職業安定法違反(有害業務の紹介)に問われていた。

「木山は六代目山口組系落合金町連合幹部に60万円のみかじめ料を支払ったとして、昨年1月に東京都暴力団排除条例違反の疑いで逮捕状が発付されました。その後、逃亡。今年1月21日、公開手配のポスター10000枚を作成し、公開捜査に切り替えたところ『奄美に似ている人物がいる』という情報提供があったのです」(社会部記者)

 潜伏先の奄美大島で身柄が確保されたのは、同月26日夜のことだ。その後、職業安定法違反容疑などで再逮捕された。

「広告ナビ」「ホワイト」「スマイル」などと名称を変えながら活動を続ける匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)の代表格であるナチュラル。約1500人のメンバーを擁し、全国の風俗店などから掻き集めたブラックマネーは年約50億円を超える。暴力団とは共存関係で、多額の資金が流れていると見られる。

 木山が一代で創り上げた組織は、いかにして最凶スカウト集団と化したのか――。

 十数年前、歌舞伎町で誕生した違法スカウト集団「ナチュラル」は、いかにして莫大な収益を生むトクリュウとなったのか。創業者“木山”こと小畑寛昭被告(41)の知られざる経歴を辿ることで、その全貌を暴く。(全2回の1回目/初出:「週刊文春」2026年7月16日号)



「争いません」

 法廷に立った筋骨隆々の男は肩を怒らせ、淡々とした口調で起訴内容を認めた。2026年5月21日、東京地裁で行われたのは、国内最大規模のスカウト集団「ナチュラル」会長の「木山」こと小畑寬昭被告(41)の初公判である。

 2023年から翌年にかけて、スカウトした女性を性風俗店に斡旋したとして、職業安定法違反(有害業務の紹介)に問われていた。

「木山は六代目山口組系落合金町連合幹部に60万円のみかじめ料を支払ったとして、昨年1月に東京都暴力団排除条例違反の疑いで逮捕状が発付されました。その後、逃亡。今年1月21日、公開手配のポスター10000枚を作成し、公開捜査に切り替えたところ『奄美に似ている人物がいる』という情報提供があったのです」(社会部記者)

 潜伏先の奄美大島で身柄が確保されたのは、同月26日夜のことだ。その後、職業安定法違反容疑などで再逮捕された。

「広告ナビ」「ホワイト」「スマイル」などと名称を変えながら活動を続ける匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)の代表格であるナチュラル。約1500人のメンバーを擁し、全国の風俗店などから掻き集めたブラックマネーは年約50億円を超える。暴力団とは共存関係で、多額の資金が流れていると見られる。

 木山が一代で創り上げた組織は、いかにして最凶スカウト集団と化したのか――。

 1985年2月、木山は双子の兄として埼玉県入間市に生まれた。出生時の名は小長谷寛昭。父は都内の小学校で教鞭をとり、後に校長を歴任した名物教師だった。教育熱心な家庭に生まれた少年時代の木山は野球に没頭。自宅の庭でバットを振り回し、「長嶋茂雄みたいになりたいんだよね」と周囲に語った。小中学校時代の同級生が明かす。

「小学4年生の秋、兄弟は現役自衛隊員が監督をやっている少年野球チームに入団。僕らの代は入間市で3位に入るくらい強く、アイツらは野球一筋で上手かった。2人とも健康志向で懸垂など筋トレが好きだった」

 中学に入ると、喧嘩に明け暮れた。

「僕らが5人くらいで帰ろうとしていたところ、2、30人が『俺たち、格闘技やってんだぜ』と、喧嘩を吹っかけてきた。でも、兄弟は喧嘩が強くて負けなかった。武器を持って喧嘩を仕掛けられても素手で立ち向かっていた。『顔は殴らない』というルールがあって、それを守っていた」(同前)

 自らに課した規律を忠実に遵守する。別の同級生は、木山の持つ独特なこだわりを明かす。

「当時、畑で野焼きすることが禁止だったんです。でも、そのルールを守らない地元のおじさんがいて、それを目撃した彼が『おい、やめろよ!』と言って喧嘩腰で乗り込んでいった」

 中学卒業後、武蔵越生高校に進学する。高校時代の担任教師が証言する。

「スポーツ推薦の特待生として入学しました。双子だったから家庭の事情を考慮し、1人分の学費は免除。当時は特に問題を起こすような生徒ではなかった」

 だが、高校時代の木山は早々に挫折を味わう。

「レギュラーになる実力はなく、ベンチ入りしたことすらなかった。そして、肩を痛めて投げられなくなってしまった」(野球部員)

 木山は「筋トレ」と「トラブル」で己の存在を証明しようとした。

「『負けたくない』と思っていたのか、体を鍛えていた。後輩が揉めていると『やれよ!』とけしかける。活躍している同級生にはオラつかないけど、後輩には当たりが強かった」(同前)

 高校卒業後、地元の駿河台大学に進学。野球を続けたが、芽は出なかった。野球部メンバーが振り返る。

「肩くらいまである茶髪のロン毛で、普通の田舎の大学生風でした。2年生になって急に『辞める』と言って、辞めちゃったんです」

 その頃、木山は西東京随一の歓楽街、立川という新天地に身を置き始める。06年、21歳の彼は、立川のスカウト集団Lの門を叩いたのだ。(続く)

「所沢のタイソン」へのSOS、暴力団との共闘関係…“史上最凶スカウト集団”会長・木山(41)とは何者か「歌舞伎町に返り咲きたい」 へ続く