カゴミル 鹿児島の今のニュースを、まとめて。

← 一覧
戦後81年 奄美大島で戦争を経験した女性(97) 度重なる爆撃、米軍による統治… 女性が見た81年前の景色とは 鹿児島
総合 MBC南日本放送 👁 3

戦後81年 奄美大島で戦争を経験した女性(97) 度重なる爆撃、米軍による統治… 女性が見た81年前の景色とは 鹿児島

📰 全文
終戦からあす15日で81年。奄美大島で戦争を体験した97歳の女性が鹿児島市に暮らしています。
女性が見た81年前の景色とは。平和を願う今の思いを聞きました。

(幸本京子さん)「(トンボが)飛んでるのを見ても飛行機みたいな、あの時の」

鹿児島市に暮らす幸本京子さん、1929年生まれの97歳です。

■仲間と勉学に励む中…戦争が

現在の奄美市で4人きょうだいの長女として生まれました。

小学校を卒業したあと、奄美高等女学校に通い始めた京子さん。仲間と勉学に励む中、戦争が始まりました。

(幸本京子さん・97)「『あの音は友軍機の音だから大丈夫よ』と言って上を見上げたら、飛行機に日の丸がない。私たちのところに低空して『ダダダダダ』と機銃掃射を始めた。もう少しで私たちは死んでいたと思う」

■「奄美では毎日」…1474回の爆撃

奄美博物館によりますと、奄美群島には1944年から終戦にかけて9351機の爆撃機が襲来。

確認されているだけでも1474回の爆撃があり、死者は441人に上りました。

(幸本京子さん)「鹿児島の話を聞くと、何月何日に空襲があってどうだったということを聞くが、奄美では毎日あった」

■「今思えばおかしい話」

戦時中、出征兵士の家で家事や田植えの手伝いなどをしていた京子さん。ある時、こんな話を耳にします。

(幸本京子さん)
「食料を取りに岬のソテツ畑に行ったら、その岬の海岸に1人のアメリカ兵がいたそう」

「若い人は砂浜で『アメリカ兵をこの落とし穴に落とすんだ』と言って、落とし穴を作った。今思えばおかしい話ですよね」

■日本は敗戦も 京子さんたちの戦いは簡単に終わらず

1945年8月15日、日本は敗戦。島への爆撃はなくなりましたが、京子さんたちの戦いはそう簡単に終わりませんでした。

(幸本京子さん)
「伯父は庭に引っ張り出されて、ほっぺたをたたかれて足で蹴られて、(兵士が)『お前はデマを飛ばした。日本が負けるはずはない』と言って」

終戦からあす15日で81年。奄美大島で戦争を体験した97歳の女性が鹿児島市に暮らしています。
女性が見た81年前の景色とは。平和を願う今の思いを聞きました。

(幸本京子さん)「(トンボが)飛んでるのを見ても飛行機みたいな、あの時の」

鹿児島市に暮らす幸本京子さん、1929年生まれの97歳です。

■仲間と勉学に励む中…戦争が

現在の奄美市で4人きょうだいの長女として生まれました。

小学校を卒業したあと、奄美高等女学校に通い始めた京子さん。仲間と勉学に励む中、戦争が始まりました。

(幸本京子さん・97)「『あの音は友軍機の音だから大丈夫よ』と言って上を見上げたら、飛行機に日の丸がない。私たちのところに低空して『ダダダダダ』と機銃掃射を始めた。もう少しで私たちは死んでいたと思う」

■「奄美では毎日」…1474回の爆撃

奄美博物館によりますと、奄美群島には1944年から終戦にかけて9351機の爆撃機が襲来。

確認されているだけでも1474回の爆撃があり、死者は441人に上りました。

(幸本京子さん)「鹿児島の話を聞くと、何月何日に空襲があってどうだったということを聞くが、奄美では毎日あった」

■「今思えばおかしい話」

戦時中、出征兵士の家で家事や田植えの手伝いなどをしていた京子さん。ある時、こんな話を耳にします。

(幸本京子さん)
「食料を取りに岬のソテツ畑に行ったら、その岬の海岸に1人のアメリカ兵がいたそう」

「若い人は砂浜で『アメリカ兵をこの落とし穴に落とすんだ』と言って、落とし穴を作った。今思えばおかしい話ですよね」

■日本は敗戦も 京子さんたちの戦いは簡単に終わらず

1945年8月15日、日本は敗戦。島への爆撃はなくなりましたが、京子さんたちの戦いはそう簡単に終わりませんでした。

(幸本京子さん)
「伯父は庭に引っ張り出されて、ほっぺたをたたかれて足で蹴られて、(兵士が)『お前はデマを飛ばした。日本が負けるはずはない』と言って」

「『伯父ちゃん、本当に終戦、天皇陛下のお言葉があったの?』、そんなことを言いながらおじの足元で泣き叫んだ」

■奄美群島はアメリカ軍の統治下に

半年後の1946年2月、奄美群島はアメリカ軍の統治下に置かれ、本土と自由に行き来することができなくなりました。

(幸本京子さん)
「1年の時だと思う」

「これが卒業、これだけしかいない」

京子さんを含め、同級生の多くは終戦後に本土へ渡ろうと渡航許可の申請をしましたが、許可はなかなか下りなかったといいます。

■半年後…「わくわくした気持ちで鹿児島の土を踏んだ」

(記者)「京子さんは半年間、渡航許可を待ち、ようやく鹿児島市に着いた」

(幸本京子さん・97)「うれしくて、希望いっぱい持って、日本に来れたんだ、日本の土を踏めるんだと、わくわくした気持ちで鹿児島の土を踏んだ」

その後、小学校の教員などを務め、20年ほど前からおよそ10年間、若い人たちの前で戦争体験を語り、平和の大切さを伝えてきました。

■「戦争を体験した者が生涯伝えていかなければいけない」

ロシアによるウクライナの軍事侵攻から4年半がたち、アメリカ・イスラエルとイランとの衝突は今も続いています。

緊迫した世界情勢に日本が巻き込まれないか、不安な思いが頭を離れません。

(幸本京子さん・97)
「(戦争の)足音が聞こえるようで、黙っておれないなという感じ。戦争を体験した者が生涯伝えていかなければいけない。この頃つくづくと思うようになった」

「戦争は絶対だめだということをみんなが知って、戦争のない国、平和な世界になってほしい」

あす15日は戦後81年、終戦の日。97歳の女性が教えてくれた戦争の記憶です。