木造の練習船「霧島丸」1927年に嵐で遭難、実習生ら53人犠牲…大型鋼船「日本丸」など建設の契機に
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約100年前に遭難し、実習生らが犠牲になった練習船「霧島丸」の歴史について学ぶ講演会が11日、鹿児島市加治屋町のかごしま国際交流センターで開かれた。オンラインを含めて約40人が参加し、熱心に耳を傾けた。霧島丸は、鹿児島大水産学部の前身である鹿児島県立鹿児島商船水産学校が所有していた練習用の帆船。南洋への遠洋航海中だった1927年3月に千葉県の犬吠埼沖で嵐のため遭難し、実習生や乗組員計53人が命を落とした。
講演会は九州パブリックヒストリー実践研究会が主催し、同学部の練習船で機関士を務めていた田中久雄さん(77)と、航海の訓練機関で船員教育にあたっていた神田一郎さん(74)(いずれも鹿児島市)が講師として登壇。木造だった霧島丸の遭難を契機として大型鋼船の練習船「日本丸」「海王丸」が建設されたことや、遭難以降の船員教育の歴史などを紹介した。
同学部1年の学生(19)は「私の先輩にあたる霧島丸で亡くなられた方々の遺志を受け継ぎ、海についての学びを深めていきたい」と話した。