群発地震から1年 震度6弱観測した悪石島の今 島に残る傷痕【鹿児島】
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2025年6月から始まったトカラ列島近海を震源とする群発地震。1年が経過した今もたびたび地震が起き、完全には終息していません。
鹿児島県十島村の島々の中でも特に大きな揺れが相次いだ悪石島では、1年前の7月3日、一連の地震では最大となる震度6弱を観測しました。
一時は大規模な島外避難も行われた悪石島。
そんな島の人たちは今何を思うのか?
池田記者が現地を取材しました。
鹿児島市から南へ約250キロ、十島村の悪石島です。
漁業と畜産が主な産業で、87人が暮らしています。
この小さな島で群発地震が始まったのは2025年6月。
トカラ列島近海を震源とする群発地震は過去にもありましたが、6月と7月だけで2200回と有感地震の数はこれまでとは桁違いのものでした。
そして1年前の、2025年7月3日。
悪石島では一連の地震で最大となる震度6弱を観測。
一時、島民の半数以上が島を離れました。
避難者
「不安で夜も眠れなかった」
あれから1年。
島民はどんな思いで暮らしてきたのでしょうか。
漁業・民宿 有川和則さん
「なんとか元気でした」
悪石島に生まれ、漁業と民宿を営む有川和則さん、74歳です。
地震当時、有川さんは妻とともに約2週間、鹿児島市に避難しました。
漁業・民宿 有川和則さん
「あれからずっと体調が思わしくなくて、通院で鹿児島に行ったりしていた」
昼夜を問わず続く地震と避難生活によって体調を崩した有川さん夫婦。
1年が経った今も以前の元気は戻らず、民宿を再開できずにいます。
そして
有川和則さん
「もうしょっちゅう思い出す。地震のたびに思い出します。地震が一度起きたら『また次が来るかな』と悪いほうに考えてしまう」
回数は減ったものの、2025年8月以降も月に数十回から数回の地震が観測されていて、群発地震は完全には終息していません。
今も続く地震に、島の将来を懸念する人もいます。
畜産業・坂元裕幸さん
「同様の地震が続くようなら牛飼いもできないのかな」
島で代々牛を育ててきた坂元裕幸さん、52歳です。
坂元さんは牛の世話のために、震度6弱の揺れのあとも家族を避難させ、一人で島に残りました。
島民や牛への被害はありませんでしたが、今後起きるかもしれない地震への不安は消えません。
畜産業・坂元裕幸さん
「牛飼いを辞めたら、もう住めないかもしれない。やれるところまでやるだけですね。分からないことなので」
これからも島で生活していけるのか、答えのない問いが頭を巡っていました。
住民が不安を抱える中、1年前の教訓を踏まえ、島では対策も進んでいました。
島唯一の診療所に務める看護師の渡部涼さん(29)。
2025年、取材した時にはこんな不安を口にしていました。
看護師・渡部涼さん
「診療所の看護師だけでは対応できないこともある。災害を想定して訓練しているけれど、実際起きたらどうなるかと不安」
渡部さんは地震を経験したこの1年で、医療の連携体制や島民の防災意識の高まりを実感しています。
看護師・渡部涼さん
「鹿児島や奄美の医療機関の人から声掛けや手助けしてもらっている。(島民も)避難のスムーズさは他と比べて早いと思う。経験が積み上がっていると感じる」
6月30日には鹿児島大学などの研究チームが開いた地震の報告会も開かれ、熱心に聞き入る島民の姿がありました。
民宿を営む 西恵子さん
「今後も対策をしなければいけない。私がきょう聞いたことを周りに伝えて『こうしたほうがいい』とアドバイスしたい」
発生から1年が経った今も終息していない群発地震。
激しい揺れを何度も経験した島民の心には傷が残されたままです。
それでも、また来るかもしれない地震に備えながら、島の人たちの暮らしは続いています。
有川和則さん
「みんなが島を大事に思っている。島が好きだからいられる。助け合いですよ。みんあが支えて、互いに支え合って生きている」