カゴミル 鹿児島の今のニュースを、まとめて。

← 一覧
「紫電改」海底から引き揚げ 鹿児島・阿久根沖 国内現存2機目
ビジネス 毎日新聞

「紫電改」海底から引き揚げ 鹿児島・阿久根沖 国内現存2機目

📰 全文
 鹿児島県阿久根市沖で8日、第二次世界大戦末期に沈んだ旧日本海軍の戦闘機「紫電改」が引き揚げられた。米国に3機、国内には愛媛県に1機現存するだけだった。地元の市民団体が戦争の記憶と平和の尊さを語り継ごうと寄付を募り、戦後81年での引き揚げを実現した。

 紫電改は零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の後継機として大戦末期に開発され、約400機生産された。引き揚げたNPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺(のこ)す会」によると、機体は、1945年4月21日、同県出水市上空で米軍B29爆撃機と交戦。隣接の阿久根市折口付近の海上に不時着し、搭乗していた飛行隊長、林喜重大尉(神奈川県出身)が亡くなった。

 出水麓(ふもと)歴史館で専門員を務める、遺す会の肥本(ひもと)英輔代表(71)が情報提供を受けたのは23年4月。有志で活動を始め、潜水調査などを進め、沖合数百メートルの海底に機体を確認した。クラウドファンディングなどで全国から寄付が集まり、準備は加速した。

 8日は民間企業やダイバーらの協力を得て、海底の機体に固定用のパイプやワイヤを装着し、サルベージ船のクレーンで釣り上げた。両翼12メートルの機体が海上に姿を見せると、折口海岸に集まった市民らから拍手が湧いた。

 国内では愛媛県沖で1979年に引き揚げられ、同県愛南町で展示された1機しか現存していなかった。引き揚げられた機体は出水市内で1年近くかけて塩抜きされ、専門家の指導を受けながら修復される。会では自治体の協力も得て展示方法を検討する計画だ。

 涙を浮かべて引き揚げを見つめた肥本代表は「翼の形がきれいに残っていて美しいと感じた。展示施設を作り、子供たちが機体を通じて生の歴史を感じ、平和について真剣に考える機会としていきたい」と語った。【藤野智成】

 鹿児島県阿久根市沖で8日、第二次世界大戦末期に沈んだ旧日本海軍の戦闘機「紫電改」が引き揚げられた。米国に3機、国内には愛媛県に1機現存するだけだった。地元の市民団体が戦争の記憶と平和の尊さを語り継ごうと寄付を募り、戦後81年での引き揚げを実現した。

 紫電改は零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の後継機として大戦末期に開発され、約400機生産された。引き揚げたNPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺(のこ)す会」によると、機体は、1945年4月21日、同県出水市上空で米軍B29爆撃機と交戦。隣接の阿久根市折口付近の海上に不時着し、搭乗していた飛行隊長、林喜重大尉(神奈川県出身)が亡くなった。

 出水麓(ふもと)歴史館で専門員を務める、遺す会の肥本(ひもと)英輔代表(71)が情報提供を受けたのは23年4月。有志で活動を始め、潜水調査などを進め、沖合数百メートルの海底に機体を確認した。クラウドファンディングなどで全国から寄付が集まり、準備は加速した。

 8日は民間企業やダイバーらの協力を得て、海底の機体に固定用のパイプやワイヤを装着し、サルベージ船のクレーンで釣り上げた。両翼12メートルの機体が海上に姿を見せると、折口海岸に集まった市民らから拍手が湧いた。

 国内では愛媛県沖で1979年に引き揚げられ、同県愛南町で展示された1機しか現存していなかった。引き揚げられた機体は出水市内で1年近くかけて塩抜きされ、専門家の指導を受けながら修復される。会では自治体の協力も得て展示方法を検討する計画だ。

 涙を浮かべて引き揚げを見つめた肥本代表は「翼の形がきれいに残っていて美しいと感じた。展示施設を作り、子供たちが機体を通じて生の歴史を感じ、平和について真剣に考える機会としていきたい」と語った。【藤野智成】